平安の仏の囁きを現代に
-真言宗豊山派 仏陀山 弘福寺–
2017年10月、和歌山県立博物館の大河内智之博士の調査により、現在の弘福寺本堂に安置されている十一面観音、持国天、多聞天、十二神将のほとんどが平安初期に造られた木造仏である事が判明しました。保管ケースに守られたわけではなく、1200年もの間、お寺の日々の行を見守って来られた仏様です。その仏様を今も間近に見ることができます。
川原寺は室町末期に廃寺となったとの記録があり、また今の弘福寺の創建は江戸中期とされています。ところが先の仏様達は平安時代初期からのものです。
この意味するところは何なのでしょうか?
川原寺と弘福寺は別物なのでしょうか?
謎がまたひとつ生まれました。
平安時代の川原寺は弘法大師が京の都と高野山の往復をする際に、その往路での宿として使われていました。
創建当時とは全く違った存在価値が与えられたのです。
弘法大師の作といわれる持国天、多聞天が祀られ、日本で3番目に古いとされる十二神将があなたの心のつぶやきに耳を傾けようとあなたを待っています。